今回は更新世(こうしんせい)について解説します。
古代はさまざまな別称があり、この更新世も洪積世や氷河時代、旧石器時代とさまざまな名称があります。
更新世は日本において特に重要な旧石器時代の始まりと重なっており、日本史の始まりの部分になっています。
今回は更新世とその前後の時代区分について詳しく解説します。
更新世(こうしんせい)とは?
更新世とは、約258万年前から約1万年前までの期間を指します。
更新世は寒冷な氷期とそれと比較的温暖な間氷期が繰り返されたので、「氷河時代」とも呼ばれます。
また更新世は前期・中期・後期に分かれますが、これを総称して「旧石器時代」と呼ぶこともあります。
更新世における氷期では海面が下がり、日本列島が北と南でアジア大陸と陸続きになっていました。
またこの頃の化石人骨として「港川人」や「浜北人」がそれぞれ沖縄と静岡県で見つかっており、これらは更新世中期以降から現れた新人のものとされています。
地質時代とは
地質時代とは生物種族の生存期間に基づいて時代を区分したものです。
地球誕生から歴史時代以前までの過去全体を意味することもあります。
古い方から始生代、原生代、古生代、中生代、新生代と区分されています。
始生代以前の時代は冥王代とされています。
代はさらに紀、世、期に細分化されます。
人類の歴史は地質時代における第三区分の終わり頃から始まりますが、猿人から原人・旧人を経て新人が登場したのは約20万年前とされています。
更新世前後の流れ
1. 中新世
中新世(ちゅうしんせい)とは地質時代における新生代新第三紀の前半を指しており、約2400万年前から533万3000年前を指しています。
ヒマラヤ・アルプス山脈はこの時期にかけて激しい隆起があり、それによって火山岩の噴出がありました。
気候は初期(1650万年前ごろ)は温暖期に入っていましたが、その後は寒冷期になっています。
この時代から現在と共通の動物が増えているのが特徴です。
2. 鮮新世
鮮新世(せんしんせい)とは新生代の新第3世紀の後半にあたり、約553万3000年前から258万年前の時代を指しています。
人類史では旧石器時代以前にあたり、アウストラロピテクスなどに代表される猿人がこの時代を生きていました。
また鮮新世の終わり頃から原人が登場しています。
猿人は二足歩行を可能とし、森から草原へと生活範囲を広げることに成功しています。
哺乳類の進化もこのころ行われました。
3. 更新世
地質時代の第四期にあたる、約258万年前から1万1700年前を指した時代区分の一つです。
人類史では「旧石器時代」にあたり、寒冷期が非常に長い時期だったため「氷河時代」とも呼ばれています。
今の日本列島がアジア大陸と陸続きになっていたので北からはマンモス、南からはナウマンゾウが日本に渡来していました。
旧石器時代において人類は打製石器を使用しており、日本では1946年に関東ローム層から出土しています。
更新世に日本で暮らしていた人類は静岡県の浜北人(はまきたじん)と沖縄県の港川人(みなとがわじん)に代表されますが、その他にも兵庫県の明石人(あかしじん)と沖縄県の山下町洞人(やましたちょうどうじん)などが見つかっています。
4. 完新世
完新世は新生代第四紀の更新世から続く地質時代の最後の時代区分であり、約1万1700年前から現在までの期間を指します。
更新世末期の寒冷化が終わり、長期的な温暖期に入った時が完新世の始まりとされています。
温暖化によって海面が上昇したのが特徴で、人類はこの頃から農耕を始めたとされています。
この時代から人類史は「新石器時代」が始まったとされており、日本はこの初期から縄文文化が展開されました。
更新世の生物
動物
更新世では日本列島がまだ形成されておらず、アジア大陸と陸続きになっていました。
そのため北からはマンモス、南からナウマンゾウが日本にやってきたとされており、この他にもトウヨウ像やナウマンゾウなども日本に渡来したと想定されています。
また更新世の末期には世界中で200種以上の生物(特に大型生物)が滅びています。
これはマンモスやケサイ、オオナマケモノなどが代表的です。
人類
更新世ではすでに日本列島に人類が存在していました。
大型動物を追って日本に渡来した可能性がありますが、その証拠は見つかっていません。
日本にいた人類が残した打製石器が千九百四十六年に相沢忠洋という考古学者によって群馬県の岩宿遺跡から見つかっています。
日本における人類
日本の化石人骨は浜北人(静岡県)、港川人(沖縄県)の2種類が代表ですが、この他にも明石人(兵庫県)と山下町洞人(沖縄県)の2種類が見つかっており、いずれも更新世において日本列島にいた原人です。
更新世・旧石器時代の重要キーワード
打製石器
打製石器とは旧石器時代において人類が使用していた、石を打ち欠いて作った石器を指します。
日本では縄文時代に多くつくられ、弥生時代にも見られます。
これは大型動物を倒すために作られ、食料を得るために使われました。
岩宿遺跡・野尻湖
岩宿遺跡は1946年に日本の群馬県で発見され、日本に旧石器時代があったことを証明した遺跡です。
それまでは旧石器時代の地層からは人骨や石器が発掘されず、日本に旧石器時代がないとされていました。
しかし打製石器が岩宿遺跡から見つかったことで日本にも旧石器時代があるとわかりました。
まとめ
今回は有史以前の更新世を中心に解説しました。
人類が今の新人になる前の地質時代の区分は非常に細かく定義されておりややこしく感じる人も多いと思いますが、高校や中学で問われるところは非常に明確になっています。
特に更新世や完新世といった旧石器・新石器時代は人類の名前も多いのでそれとからめて整理しておくことがおすすめです。
また旧石器時代の人類は食料確保が第一の課題になっていました。
そのため人類は打製石器を作る必要があり、日本の縄文時代では中型動物を狩るために弓矢も作られています。
この小工料確保の必要性をキーワードに旧石器時代を整理するとわかりやすくなります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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