太平洋戦争をわかりやすく解説!終戦までの流れや歴史的背景まとめ

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太平洋戦争は日本史の中でも大きく影響を与えた出来事です。

日本は抗戦の末にこの戦争に敗北し、戦後改革はこの敗北が大きく影響することになりました。

本記事ではこの戦争に至る背景や日本政府の動き・戦時中の流れを詳しく解説します。

太平洋戦争の基本的な知識

太平洋戦争とは

第二次世界大戦が起きている中、日本が連合軍との間で起こした戦争が「太平洋戦争」です。

これは1941年に日本の真珠湾攻撃によって始まり、1945年に日本のポツダム宣言によって1945年8月15日に終わりました。

序盤は優勢に進んだこの戦争はミッドウェー海戦でアメリカに大敗したことにより戦況が一変します。

持っていた植民地を侵略され本土空襲と沖縄上陸戦、そして広島・長崎への原爆投下による犠牲者は日本史上類を見ないほど大きなものでした。

太平洋戦争の目的

すでに太平洋戦争が開戦される以前から長期化していた日中戦争において戦力を割いていた日本は、国際連盟からも脱退しており国際的に孤立していました。

日本が日中戦争に勝って植民地を増やし、経済を立て直すためには連合国の「ABCD方位陣」を破り、東南アジアなどへ進軍し資源を獲得する必要がありました。

ABCDとはそれぞれアメリカ(America)・イギリス(Britain)・中国(China)・オランダ(Dutch)の頭文字を取ったものです。

この4国から受ける経済制裁・貿易規制によって日本の南進政策は進まずにいたのです。

戦争を継続する上で必須となる石油や屑鉄などの物資輸入が禁止されていた日本はこの圧迫を跳ね返すためにも戦争を継続する必要があったのです。<

参考:太平洋戦争を簡単にわかりやすく解説【起きた原因とその結果を年表付で!】
参考:太平洋戦争についてわかりやすくまとめた【日本の歴史】

太平洋戦争の歴史的背景

1. 日中戦争の泥沼化

日本は華北の支配権を獲得するために中国と対立しており、すでに1933年の満州事変によって中国の一部を占領していました。

緊張が高まる中で日本の近衛内閣が成立した直後の1937年7月7日に日中両軍が衝突する事件が起きました(盧溝橋事件)。

この事件をきっかけに「日中戦争」が始まります。

日本は大規模な攻撃によって短期間で終わらせるはずでしたが、中国は国民党と共産党が連携し(第2次国共合作)、「抗日民族統一戦線」を成立することで日本に抵抗します。

また中国は連合国からの支援も受けていたため、日中戦争は泥沼化し予期せぬ長期戦となりました。

2. 第二次世界大戦が勃発

東洋で日中戦争が起きている中、西洋ではヒトラーによる独裁政権を持つナチス=ドイツがヴェルサイユ体制の打破に乗り出します。

国内の経済と軍事力をいち早く立て直したドイツは植民地獲得のため1938年にオーストリアを併合し、チェコスロヴァキアにも侵攻します。

この時ドイツはヴェルサイユ体制を作った第一次世界大戦の戦勝国であるイギリス・フランスを敵対視していました。

日本とドイツはソ連に加えこの両国を仮想敵として軍事同盟を結ぼうと協調します。

この情勢の中1939年9月1日にドイツはポーランド侵攻を開始し、イギリス・フランスがドイツに宣戦布告したことで第二次世界大戦が始まりました。

3. 日独伊三国同盟を締結

日本が南進政策を進める理由は、東南アジアにある欧米の植民地から資源を獲得するためでした。

そして日中戦争の最中で中国へ連合国から資源を送る「援蒋ルート」を遮断し戦局を打開するためにも、ヨーロッパの国々と同盟を結んでその恩恵を受ける必要がありました。

ドイツがポーランド侵攻を行い第二次世界大戦が始まった時、日本とドイツにイタリアを加え1940年9月に「日独伊三国同盟」を締結します。

そして同時期日本はフランスに圧力を加えフランス領インドシナに日本軍を置くことを認めさせました(北部仏印進駐)。

これにより援蒋ルートの1つである仏印ルートを遮断することに成功します。

4. 日米交渉

南進政策を強行する日本はアメリカとの対立を深めていきます。

しかし日本は戦力で大きく差があるアメリカと戦争をすることは避けたいと考えていました。

1941年に入ると日米交渉は本格化します。

日本がアメリカの要求を受け入れることで、アメリカの中国支援を止めるよう交渉しますが、戦争が長引き資源不足だった日本はこの最中にフランス領インドシナの南部にも軍を進めました(南部仏印進駐)。

これによりアメリカとの交渉は決裂し、在米日本資産を凍結するほか日本への石油輸出を禁止しました。

5. アメリカによる経済制裁

それまでの日本は石油輸入のほとんどをアメリカに依存していたので、日米交渉が決裂し経済制裁を受けたことは日本にとって大打撃でした。

石油は特に戦闘機や軍艦を動かす重要な資源です。

これを輸入できなくなった日本は日中戦争に敗北する恐れがありました。

日本はこれによりイギリス領マレー半島に先制攻撃を行い、短期間で東南アジアを占領したのちこれをアメリカ・イギリスから死守する「南方作戦」を計画しました。

6. 真珠湾攻撃

日本は1941年12月8日にイギリス領マレー半島に奇襲を仕掛け、同時に日本海軍がアメリカ領ハワイの真珠湾を奇襲攻撃しました。

これにより日本はアメリカ・イギリスに宣戦布告し太平洋戦争が始まります。

【豆知識】真珠湾攻撃と日系アメリカ人

真珠湾攻撃は当初宣戦布告をした上で行われる予定でした。

しかし先制攻撃を確実に成功させたい軍部はこの通告を真珠湾攻撃後に変更しました。

この結果真珠湾攻撃はアメリカの予想しない奇襲攻撃となり、アメリカは「リメンバー=パールハーバー(真珠湾を忘れるな)」というスローガンで団結し、日本に対して激しく敵対心を持ちました。

その結果カリフォルニア州を中心とする多くの日系アメリカ人が強制収容所へ収容されることになりました。

参考:太平洋戦争を簡単にわかりやすく解説【起きた原因とその結果を年表付で!】
参考:太平洋戦争 なぜ開戦したの?

太平洋戦争が終戦するまでの流れ

1. 大東亜共栄圏

日本は太平洋戦争を「大東亜共栄圏の設立」をスローガンに掲げ正当化しました。

これは近衛内閣によって発案された白人からの支配を脱して日本を中心とした東アジア・東南アジアの新秩序を構築するという考えです。

南部仏印進駐によってアメリカとの交渉が決裂した日本は、この大東亜共栄圏を実現させるために本格的に南方作戦を始めます。

そのため太平洋戦争は「大東亜戦争」と呼ばれました。

2. ヤルタ会談

日本の進撃は東南アジアを超えて広範囲を占領することに成功します。

しかしアメリカが反撃し、ミッドウェー海戦・ガダルカナル島の戦いで日本を打ち破ります。

1944年6月にサイパン島が陥落するとアメリカはそこから本土空襲を開始しますが、日本は徹底して抗戦を続けます。

これに対して連合国が日本への対応を考える「ヤルタ会談」がイギリス・アメリカ・ソ連の3国で開かれます。

これにより日本の無条件降伏と戦後処理を決める「ポツダム宣言」が日本に提示されました。

3. ポツダム宣言

ポツダム宣言は日本の無条件降伏と戦後処理方針を決めたものです。

しかし日本はこれを受け入れない対応を取り、同時期の沖縄戦でも徹底抗戦を行いました。

またこのころ「神風特攻隊」が編成され自爆特攻を行ってでも抵抗を続けていました。

4. 原爆投下

アメリカは依然として抗戦を続ける日本に2発の原子爆弾を8月6日に広島、8月9日に長崎に投下しました。

そして8月8日にはソ連が日ソ中立条約を無視し日本へ侵攻し満州と朝鮮へ侵入しました。

これにより陸軍の継戦主張を遮って昭和天皇はポツダム宣言を受諾したことで8月15日に太平洋戦争は終結しました。

参考:太平洋戦争を簡単にわかりやすく解説【起きた原因とその結果を年表付で!】

まとめ

日本史に大きな影響を与えた太平洋戦争は、尊い人命が数多く奪われた凄惨なものになりました。

この背景には世界恐慌によって打撃を受けたことが大きく関わっています。

テレビや教科書でも大きく取り扱われるこの出来事がどうして起きたのかを理解するだけでなく、未然に防ぐためにも日本政府や連合国にはどのような問題があったのかを考えることが現代の政治を考える上で重要なことです。

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